地曳秀峰老師インタビュー第7回 細野道場の師範代
地曳秀峰老師インタビュー 柔拳への道

第7回 細野道場の師範代

地曳秀峰の武道生活は、細野恒次郎師に師事することで合気武道の修業はいっそう充実する。技の内容ばかりでなく発想法まで一変することになった。秀峰の真の武道修業である『柔拳への道』は、この時代に第一期の開花を迎える。

-細野恒次郎先生の時代をもう少しお聞かせください。

地曳老師 合気武道地曳 細野先生は、退職された後、ご自分の道場で合気武道だけでなく、柔道も教えられていた。また、整骨師として治療にあたられ、その教授もしておられた。とてもお忙しい方でしたので、私は、金曜の夜、そして土日は道場で先生の師範代を務めて おりました。現在、大東流合気柔術宗家代理の近藤氏が道場に入門されたのもこの頃です。まだ千葉工大の学生で、私が最初の稽古をつけました。一緒にとった写真もありますよ。

-当時、富子先生(奥様)もご一緒に練習されていたそうですね。

地曳老師 合気武道地曳 結婚すると練習をやめてしまうケースが多くてね、続けるのに理解してもらう必要があった。幸い興味を持ってくれたので・・・

-細野先生の印象は?

地曳 文武両道の教養人でいらした。昔の武士だったら、家老職という感じで温厚な方でした。それが技に入ると文字通りプロの武道家です。あるとき、空手自慢の男がいきなり先生に蹴りを入れてきた。先生は、表情も変えずにスッと足の逆をとられた。さすがに名人だと思いました。

米軍基地に合気道部を設立

-ウィークデイは?

地曳 木更津の米軍基地におりましたので、細野先生のお許しをいただき基地内に支部を開講し、木更津武道連盟に所属し、仕事が終了してから指導をしておりました。

-木更津は武道の盛んな土地柄と伺っていますが?

地曳 幕府直轄の天領だった所で旗本の別荘があった所です。江戸の気質がそのままありました。

-支部の生徒はどんな方々ですか?

地曳 当時は、ベトナム戦争の時代です。ベトナムに派兵される海兵隊が主でした。彼らは陸海空三軍の中で最強といわれた、身長一八〇を越す屈強の若者たちでした。
彼らは最前線で戦わなくてはならないので実際に使える技でなければ意味がないわけです。アメリカ人は相手を試して実力を認めないと先生とは思わないんですね。それで初めはそれこそものすごい勢いでかかってくる。そういうときはこちらも遠慮せずに投げてやる(笑)。すると私は彼らよりも身体がずっと小さいから大変ビックリされるわけです(笑)。彼らには主に白兵戦を教えました。私にもいい勉強になった、相手が相手だから生半可じゃ技はかからない。

-思い出に残る生徒は?

地曳 ボディビルのチャンピオンがいました。彼の家は農家で納屋を改造して一家四人でトレーニングしている。冬の雪の時、四人でトラックを持ち上げてその下の雪掻きをするのだそうです。
そんな力自慢の男だから初めはこちらの稽古を馬鹿にしてからかい半分に見ていた。『そんな面倒をせずに、引っ掴んで投げ飛ばせばいいじゃないか』とね。
あまりに態度が悪いので「それならここを持ってみろ」と胸ぐらを持たせた。向こうが力まかせに踏ん張っているところを投げ飛ばして、ぐうの音も出ない程組み伏せてやりました(笑)。力と気では気の方がずっと強いですからね。
そうしたら次の日、別人のようにすっかり変わって教えを請いに来た(笑)。
それからはとても真面目で従順に稽古を一生懸命やりましたよ。そして彼は帰国後、道場を開きました。8ミリを送ってきたのですが、教えた通りに生徒に正座させ礼をさせている袴姿の彼が写っていました(笑)。
全米海軍ボクシングライト級チャンピオンもいましたね。彼はそれを一番最後に明かしたのですが、そういえばいやに突くのが早い男でした(笑)。それでも合気の技をかければ皆同じことです。彼にとっては、私が奥山先生に投げられた時と同じ気持ちだったでしょう。不思議でならなかっただろうと思いますよ。
でも私がやっていたのが大東流合気道で本当によかったとこの頃つくづく思いましたね。というのも他の武道の練習を見かけるときなど武道家の方たちが大きな外人相手に四苦八苦されているのを目の当たりにしましたからね。

自衛隊合気道部

-自衛隊からも教授依頼があったそうですが?

地曳 木更津基地は、米軍と自衛隊の共同使用だった。べ平連の時代だったので、よく武器庫が狙われて死者が出ました。自衛隊の正門前には学生達がスクラムを組んで座り込むのですが、マスコミも一緒に来ているので排除もできない。自衛隊をマスコミが目の敵にしていた時代です。学生に怪我人でも出たら、新聞の第一面の記事になってしまう。それで自衛隊から、怪我をさせずに排除する方法を指導してほしいと依頼を受けました。

-そんな方法あるのですか?

地曳 柔の技を使えば簡単ですよ。この時は、八光流の技が役に立ちました。どんなに頑張って座り込んでも、ニコニコしながらつぼをつかめば学生はまともに座っていられない(笑)。それをゴボウ抜きすればいい。それ以外にも、鉄パイプの相手を捕まえる術、相手を先に歩かせて連行する方法なども教えましたね。

-連行される方が前を歩く?

地曳 外から見ると学生が前に進んで歩いて隊員が連れられているように見える(笑)。この時いただいた感謝状が残っています。米軍にもらった感謝状もあります。

一流の武道家とは?

-地曳秀峰会長が師事されてきた、松濤館空手の船越義珍先生、八光流柔術の奥山龍峰先生、 大東流合気武道の細野恒次郎先生、吉田幸太郎先生そして王樹金老師、一流の方々ば かりですが一流武道家の共通点をお教え下さい?

地曳 まずどの方も教養人でしたね。船越先生は教育者だったし、吉田先生は帝大卒で北海道新聞の編集長でらして英語を流暢に話された。他の方々も一流の教養人です。中国では教養人こそ武道を必要とした。言論を主張するには武力を背景にしなければならなかった時代がありましたからね。春秋時代の学者・孔子も武術家で、今でも孔子の剣が伝えられています。日本の武士も同じです。家督相続するためには、十分な教養と一流の武道が求められました。
それからどの先生も穏やかで礼儀正しく義理堅い常識人でらした。それに何より品格の高い先生ばかりでした。

-格闘技雑誌の取りあげる武術家は、何となく粗野な印象ですが…

地曳 武道家=荒っぽい、というイメージはマスコミが作ったものです。武道家とは、乱暴者から身を守る術を身につけた人です。武術は社会を守るとき家族を守るときのみに使うもの。

発想を転換する

-格闘技に憧れて入会する方も少なくないと思いますが…

地曳 格闘技は娯楽的スポーツであって武道ではありません。その証拠に階級別になっています。軽量級に重量級を組ませたら見せ場がない。重量級が勝って当たり前です。武道は、体の小さい者が大きな者をさばく技術です。最初から質が違います。それに格闘技の感覚でいると、いつまでたっても体が固いままで技が身につかないでしょう。発想の転換がない限り、技の進歩がなく苦労するばかりです。武道は格闘技とは異質なものです。幸いにして私の道場では、最初に乱暴者でもそのうちにおとなしくなっていきます。練習を続けていると、発想の転換をせざるを得なくなりますからね(笑)。

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