地曳秀峰老師インタビュー 柔拳への道

第10回 神道夢想流杖道の清水隆次範士

地曳秀峰は頭山道場に通うようになり、王樹金老師に師事するばかりでなく、神道夢想流杖道の清水隆次範士にも師事した。

武道の基盤を築く

地曳秀峰老師-先号で、頭山道場に通うようになってから、武道の知識を更に深めたと伺いましたが・・・

地曳 そうですね。あの時代は、こんな凄い技があるのかと大東流合気武道に夢中で、それこそ寝食を忘れて研究していた時代です。明けても暮れても合気が頭から離れないわけです。
王樹金老師の技はその凄さは分かっていても、まだその技自体には十分な理解が及んでいないのですが、チヤンロン(大成気功のこと)が老師の武芸の土台をなすものであることは理解できました。

-他のお仲間はいかがでしたか?

地曳 やはり、認識の違いがあったのでしょう。彼等は私に付き合って来たようなものでしたから・・・(笑)。
彼等の興味は、何々流の技はこう来たらこう返す、といった話の方が好きで、稽古の後でそういう話に熱中するわけですよ (笑)。今考えれば、私は好きで行きたくて門をたたいたのですから、最初から動機が違うのです。

-王樹金老師の技の凄さというのはどんな所でしたか?

地曳 老師は私が合気をやっているのを御存じなものだから、抜をかけてみろとおっしやるのです。しかし、関節の逆をとってもクルッとすり抜けてしまう。そこで軽く一撃を打たれると、こちらは吹っ飛んでしまいます。
そんな抜を目の前にさせて頂くだけで、素晴らしかった。本当に武道の基礎がしっかりした方だと思いました。基礎が如何に大事かということを、老師から学びました。

名人から学ぶ

-人知を超えた名人から学ぶということは非常に難しいと思われますが・・・

地曳 そうかも知れませんね。
しかし、王樹金老師に稽古をつけて頂いていると安らぎがありましたね。
あの頃は、日曜日の午前中、小岩(東京都江戸川区)にある大東流合気武道の細野恒次郎先生(※注1)の道場で師範代を務め、午後、渋谷の頭山道場で太極拳と枝道を練習し、日曜日に夜行で仕事先(※注2)がある木更津に帰るといった非常に忙しい生活をしていました。
週日は、仕事が終わった後、太極拳や気功をやったり、何百回も杖を振って神道夢想流の基礎訓練をしたりと、武道の基礎の重要さを一番学んだ時代といえます。
柔 (※注3)の細野恒次郎先生も名人ですからね、早く先生のようになりたいと思っておりました。とにかく、柔の技が不思議で不思議でたまらない・・・、好奇心がすべての原動力でした。

合気武道と気功

- 太極拳や杖を学ぼうとした動機には、もっと柔を深めたいという面もありますか?

地曳 ええ、そういう面もありましたね。まだ太極拳は基礎訓練の時代で、技をかけたらどうなるという所までいっておりませんので、どうしても柔の方に意識が集中してしまいます。一番の関心事が柔だから、どんな人をつかまえても柔の話ばかりしていました。相手にしてみれば迷惑だったでしょうが、話したくて話したくて・・・(笑)。

-合気も『気』の武道ですが、大成気功は気を養うのに役立っていたのでしょうか?

地曳 意識はしていませんでしたが、そういうこともあったと思います。
合気は技をかけ合い、ぶつかり合って練習する武道ですが、チヤンロンはそうではない。
逆に、合気がなかったらチヤンロンの良さも理解できず、続けることもできなかったかも知れません。

-その頃の日本は、「気功」をやっていた人はいなかった時代ですね?

地曳 そうですよ。一般的にいって「気功」という言葉さえなかった。無我夢中で手探りの状態でした。
その点、合気にしても杖にしても、先輩がいて技が見られて理解しやすい。杖なら、こう打つのをこう受けると先輩の真似をして、汗をビッショリかいて「ああ、良い汗をかいた!」と実感があるわけです。また、柔だって、先生を真似て技をサアーッとかけると、受け手が受け身をとって転がっていく・・・、「ああ、格好いい!」なんて思うわけですよ(笑)。納得しやすい(笑)。
ところが、王樹金老師はどんなに柔の技をかけても簡単にはずしてしまう。実力差が雲泥の差です。相手になりもしない。かけた!と思っても、ハツと気を入れられるとこちらは飛ばされてしまう。

-老師は組まれた時に既に、気を発射していらっしゃるのでしょうか?

地曳 そうなんでしょうね・・・、おそらくレベルの違いです。
老師の域まで達しますと、全身が仏像の後光のように気の厚いバリアに包まれているものです。そうなると体質自体が変わってくる、技をかけられても何ともなくなってしまうのです。

女性を護る護身術

-地曳秀峰会長は、こういった武道の技は女性にもでき、護身に役立つと日頃お話下さいますが・・・?

地曳 武道は身を護るためのノウハウなのです。ちょっとしたノウハウを知っているか否かで厄難に遭わずに済むのです。
たとえば、私から見ると、前から両手で首を締められて死んでしまうということは考えられない。首を締められている方は両手が空いているわけですから、急所を突けば逃れることができるわけです。そういう知識があるとないとで大きな違いが生じます。
もし、学校で女子生徒に授業で護身術を教えれば、ずいぶんと厄難がなくなると思いますよ。柔道とか合気道とかちゃんとしたものでなくていい、いわゆる護身術で十分です。
たとえば、真正面からつかまれた時、突いてこられた時、首を締められた時などの対処法を知っているだけで違う。こうやれば避けられると知っていれば、だいたい相手が恐くなくなります。知らないから、恐くなって動けなくなってしまう。

-そうですね、女性は恐怖感にかられると身動きがとれなくなってしまいます。

地曳 知識があればそういうことがない、処置できるのです。体育の時間などで教え、女子の心得として知っていると良いと思います。
昔、武士の家庭では女子の基本的な教育として護身術を教えていました。終戦まではそういう気風がありましたが、それもだんだんと廃れ、今では全然なくなってしまいました。

-でも、護身術って難しくありませんか?

地曳 武道がノウハウだというのは、本やビデオでいろいろとノウハウものが売られていますが、それと同じことなのです。そのようなノウハウものを学ぶような気持ちで、厄難を防ぐノウハウを学べば良いと思います。
女性など体格の劣る人は襲われ易いと言えますが、それを避けられるようになる。道を歩いている時、人に出遭う時、攻撃を受けないような場所に立つとか、難にあっても冷静に対処できるわけです。技をこう使うという以前の段階で問題を処理できると思います。護身術はゲームではない、命がかかっている。きちっとしたものを二~三手知っているだけでずい分違います。弱者にこそ武道が必要なのです。

武道は多くの目的を満たす

地曳 それに武道の太極拳のもっとも素晴らしいところは、健康にもとても良いということです。性別・年令・体格の違いに関係なく、護身と健康を与えてくれるのが武道なのです。
また、緊張した神経を和らげてくれるので、ビジネスマンのストレス解消法にもなります。

-通訳時代の地曳会長のストレス発散法でもあったのですか?

地曳 そうでしたね(笑)。米軍基地の通訳の仕事は面白かったが、緊張度の高い辛い仕事でもありました。午前中、二~三時間仕事に集中しますと、順に血が上ってしまい順痛がするほど疲労して、午後は仕事にならなくなってしまいます。夕方に太極拳の練習をして、順に上った血液を下げていたわけです(笑)。
仕事のストレスをアルコールに頼って対処しようとすると、身体をかえってこわします。武道は次元の高いもので、練習する楽しさだけでなく、心の糧となるものを発見できます。

頭山道場は、地曳秀峰の武道に対する理解を深めてくれ、より高い次元へと導いていったのである。(つづく)

注1 大東流合気武道の中興の祖・武田惣角の高弟。吉田幸太郎、合気道の植芝盛平は兄弟弟子。

注2 当時、地曳秀峰会長は木更津にあった米軍基地で通訳として勤務されていた。

注3 合気柔術を略していう時に「柔」と呼ぶ。

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