地曳秀峰老師インタビュー 柔拳への道

第6回 大東流-「柔」の気の世界

空手修業十年目にして、柔術に出会った地曳秀峰。八光流合気柔術・奥山龍峰の技は、秀峰の空手を見事に砕いたばかりか、柔術への魅力の中に秀峰自身を引き摺り込んでしまった。

打ち砕かれた空手

― 会長は、空手という「剛(ごう)」の世界で修行していらしたのが、合気柔術に出会われて「柔(じゅう)」の世界に飛び込まれた。その驚きは、大きかったと思うのですが…

地曳 本当に驚きでしたね。「剛」で鍛えた体は剛拳で打たれても大して痛くないんですが、柔拳(じゅうけん)の技がかかるとものすごく痛い。体中に染みるような痛さです。しかも押さえ込まれると動きが取れない。

―かなりの空手修行をなさったそうですが…?

地曳 ドラム缶に大豆やそら豆を入れて指先を鍛えたり、マキワラを突いたり、夜は就寝前、朝は出勤前に独りで黙々と鍛練しておりました。それから、骨を鍛えるために牛乳ビンで叩き、骨や筋肉を固く鍛えるだけでなく、柔軟性もつける。木更津(きさらづ)の米軍基地で通訳をしていたとき、外人に私の胸ぐらをつかませて彼のあごを蹴ったらびっくりしていましたよ(笑)。自分に自信を持っていましたから、奥山先生を訪ねたときは、私を親指一本で動けなくするなどできるものか!と思って行きました。ところが、見事にやられた。何でこんな惨めな負け方をしたのか、不思議で不思議でならない…。一遍で空手をやる気をなくしましたね(笑)。逆に、どうしてそうなったのか知りたくてならない。

道場の雰囲気が違う

― 初めて柔拳の稽古に出られたときは、どんな印象でしたか?

地曳 長いこと剛拳の道場でやっていましたから、しゃっちょこばって緊張していたんですが、奥山先生は肩のカがすっかり抜けたような感じで入っていらしてワッハッハッと全身リラックスしている。道場の雰囲気が全く違うのが印象的でしたね。緊張感に満ちた空手の道場とまさに正反対で、自分が場違いな感じさえしました。

― 稽古は如何でしたか?

地曳 初めは兄弟子(あにでし)に教えていただき、座捕(ざとり)から始まります。座って技をかけるんですが、痛い、痛い(笑)。一方、先生が入ってこられると、道場の雰囲気がガラリと変わって、リラックスした雰囲気になる。

奥山龍峰(おくやまりゅうほう)先生

― 奥山先生は、ユーモアのある方だったのですか?

地曳 先生らしい威厳のある方でした。それでいてニコニコしておられるので、こちらも緊張しなくなるんですね。でも、ある意味で天才だったと思いますね。なにしろ、各地を一週間から十日という短期間ですが、日本中廻って八光流を教えて歩いた方です。同時に、指圧術(しあつじゅつ)に長けた方でそれも教えておられた。

― 当時は、テレビなんてない時代ですから、反響は大きかったでしょうね?

地曳 そう思います。戦争直後で、帰還兵の中には武道の心得のある者が多かったですから、多くの人の興味を引いたでしょう。当然、腕のあるものが集まりますから自信が無かったら、できませんね。

細野恒次郎(ほそのつねじろう)先生

― 奥山先生の後、細野恒次郎先生に師事なさったと伺っておりますが、その経緯は?

地曳 仲間が集まると武道談義に花が咲くわけですが、大東流(だいとうりゅう)というのがあって八光流はその分派だとわかったのです。大本があるならその知識が得たくて探しました。本屋で、立山一郎著の「合気之術(あいきのじゅつ)」という本を見つけた。この著者は、合気道の植芝盛平(うえしばもりへい)の弟子で、合気の源流を探るということで本を書いていた。そこでこの著者を尋ねたところ、そこの編集者の人がもっとも人柄が良い先生だと大東流合気柔術の細野先生を紹介して下さった。しかも細野先生は小岩に住んでおられて、私の両親も小岩にいたので地の利も良かった…。

― どんな方でしたか?

細野恒次郎先生と地曳老師地曳 お訪ねしたおり、着物の着流し姿でいらしたのですが、裕福な商家の大旦那という感じの方でした。穏和で円満なおっとりした方でした。会社でいうと、総務部長という感じですか、実際に大企業の総務部長でした(笑)。いわゆる武道家という感じとは違いましたね。教養の高い方で、葉書をいただくと、和歌なんかが添えられていたりするのですよ。その頃は、もう退職されて合気を教えながら柔道も教えておられた。昔は柔道家は自然と整骨師(せいこつし)の資格が貰えたので、それも教えておられた。「私は八光流をやっていたのですが」というと、それじゃ基礎はできていますねということで稽古が始まった。

― 以前と稽古の遺いは?

地曳 八光流はツボ中心の指圧の技が多かったのですが、大東流は合気の技ですからね、合気を教えていただいた。

合気とは?

― 合気は「気を合わせる」と書きますが、一体どんなものですか?

地曳 「気」を凝縮して、集中させることです。音でいえば、そのトーンを合わせるということ。相手が押さえたところに気を集中していく、そうすると相手は罠にかかったように技にはまっていきます。太極拳にもそれがいえる。初めて太極拳を見た時、「これは合気だ」と思いましたね。

― 先生は、最初は「剛」の世界にいらしたから、「柔」の気の世界を理解するのにご苦労は?

地曳 「気」はからだの内部のことですから、外から見ることができない。「気」の技は、自分にかけられて初めてその威力を知ることができるもの。誰でもそうですが、知識だけでは体得できず、初めはどうしていいのか分からないものです。気を集中するといっても気が育っていない、カを抜くといってもカは抜けない。私も最初の頃は、口惜しくて、空手を利用して、ひるんだところを力任せに投げ飛ばしたりして…(笑)。その頃は、空手も珍しい頃でしたから、エライ人気が出てしまいましてね(笑)。

― 開眼した瞬間というのはおありでしたか?

地曳 徐々に理解していきましたね。でも、細野先生の技を見ていると、不思議でならなかった。先生の人差指を力任せに握るでしょ、先生がヒョイとやるとパァーと投げ飛ばされてしまう。力の世界では考えられないことですよ(笑)。

人との縁を呼ぶ柔拳

地曳老師地曳 不思議でならないから、明けても暮れても頭から離れないわけですよ。結局は筋肉の質とか体の内部のことだから、外から分からない。そのうち、関節を逆にするから投げられると気がついて、ああでもないこうでもないと研究ばかりしておりまして、その時の相手が横田和男(よこたかずお)先生です(顧問・会報「柔拳」編集長)。彼とは八光流の時代から一緒なんですが二人で顔を合わせると、喫茶店に行っても飲みに行っても、互いの腕や手をとってはああでもないこうでもないと…(笑)。空手の時代は、独りで黙々と鍛練しておりましたが、こちらは一人では練習ができない。

― 柔拳は人との縁を呼ぶような性格があるように思えますが…

地曳 そうですね。技をかけるときに自分の気を相手の気に合わせなければなりません。ここで人と人との繋がりが生じるということはあるでしょう。それに、技を掛け合って痛いことをするのだから、喜んで相手をしてくれるとなると相性も良くなければできませんからね(笑)。

柔拳の奥深さついて、お話しはまだまだ続く。

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