王樹金老師

王樹金老師の強さを伝えるエピソード

王樹金老師には、その武術の強さを物語るエピソードが数多くある。

1954年、世界ツアーで台湾に来ていた米国のヘビー級ボクシング王者、ジョー・ルイスの挑戦に応じたところ、ルイスは王老師にパンチの一撃を浴びせたが、老師が微動だにしないことに驚き、対戦を取りやめた。ルイスは、王老師に強い感銘を受け、二人は固い友情を結んだという。

また、来日した際には、日本でトレーニング中のジャック・デンプシー(米国のプロボクサー。当時の世界ヘビー級王者。)に腹を突かせ、デンプシーは手首を痛めたという。デンプシーは感銘し、その後、西洋の多数の練習生を王樹金老師のもとへ送り込んだ。

1959年初来日。日本武道界に衝撃走る

1959年、中華民国の蒋介石総統が「文化使節」として、王樹金老師を日本に派遣。このとき、初めて、日本に正式に太極拳・形意拳・八卦掌が伝えられた。

「中国の拳法家来る」というニュースは当時大変な話題になり、日本国内でも腕に覚えのある者達が、次々に老師に挑戦を挑んだという。

その最初の舞台が、東京・日比谷公会堂における各流武道大会だった。太極拳など一通りの演武を終えた老師は、大胆にも自ら会場に呼びかけた。「我と思わん者は、私を突いてきなさい」。その言葉を聞いて、数人の屈強な武道家が壇上に上がり、、次から次へと老師に挑みかかった。渾身の力を込めて老師の腹を突く者は、次の瞬間舞台の袖まで弾き飛ばされ、結局、多くの者達が手首を挫くなど身体を痛める結果となった。一方、老師は武道家達の突きや蹴りが身体に容赦なく打ち込まれても、微動だにすることなく、泰然自若としており、日本武道家たちに大きな衝撃を与えた。

むろん、こうした実戦ばかりではない。王樹金老師は、表演においても、中国拳法の奥深さを十分に日本の拳法家たちの目に焼き付けた。太極拳の動きは、空手や柔道を見慣れた日本人にとって、「これが武術の型か」と驚くほどゆっくりとした優美な動きである。明治神宮での奉納演武の際、足場の悪い玉砂利の上でその動きに微塵の狂いも生ぜず、蹴りを放っても微動だにしない安定感に、観客は感嘆の声をあげたといわれている。

日本における王樹金老師の継承者-地曳秀峰老師

王樹金老師の技は、台湾の中華武術国際誠明會において、王樹金老師の嫡流継承者である王福来老師と女性唯一の入室弟子である黄淑春老師によって、今も後進に受け継がれている。

日本においては、王樹金老師の外国人唯一の入室弟子であり、老師に日本における継承者と認められた地曳秀峰老師によって、その弟子達に大切に受け継がれている。


右の書は、王樹金老師が弟子である地曳秀峰老師のために書いて下さったものである。



王樹金老師と弟子達書を書かれる王樹金老師

王樹金老師宅にて。中央が王福来老師、右から3番目が地曳老師(写真上)、右上の書を揮毫される王樹金老師(写真下)